被災地からのレポートです.


☆東日本大震災 被災地支援レポートビデオ
        
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(被災地支援のガイダンス!手に取るように分かります.
   製作者のご同意とご協力を得て掲載しました.)


T.岩手県三陸海岸地区

2.三陸海岸宮古市田老地区にて
  救援物資の配給を行いました.

  
田老地区行政の災害総合対策室へ行き,
今日の現地の必要を確認し,地図で配給地域を確認して入りました.
台湾の台北から来られた楊さん一行と合同8名のチームとなりました.



お米60Kgと缶詰160個の配給を行いました.


田老地区は,大きな被害が出ているところです.


家々が軒を連ねていたところですが,現在は,このようです.
動いているのは,警察,自衛隊,消防,瓦礫を積んだトラック,
そしてボランティアの自動車くらい.
それ以外は,何も動いているものや姿が,見られません.



高台にあって津波に飲み込まれなかった家は,
瓦礫の原に囲まれていました.
集落単位で残っている地域へ,
お米と缶詰の配給を行いました.



バッグに缶詰,手にお米の袋をもって,1軒1軒,玄関を叩いて,
声をお掛けして,配給をしました.
毎日の安否の確認も伴う,大切な働きでした.
動向の女性は,耳鼻咽喉科のお医者さんです.
避難所の人たちの健康のために,一緒に行って頂いたのですが,
今回は,地域の配給に同行して頂くことになりました.



楊さんたちは,9日の予定で,宮古市で活動します.
日本語が,分からなくとも,英語とボディーランゲージを屈指して,
取り組んで下さっていました.

缶詰は,おかずになるものということで,魚の缶詰を用意して持って
来ました.
次には,デザートになる果物の缶詰や,アスパラその他の缶詰も持
有ると良いのではと思いました.



宮古市内の活動拠点となっている建物で.
旅館の1階の部屋を,ボランティアの方々が掃除して修理したので,
オーナーさんが,活動拠点として提供して下さったとのことです.



当日は,雨から霙,そして雪が降る悪天候でしたが,皆様ご苦労様でした.


1.近藤愛哉さん(盛岡市


現在,盛岡市から,三陸海岸地域へ
毎日出かけて支援活動をしていらっしゃいます.

複数のボランティア団体の人たちと
一緒に被災地に入っている.
地域の人たちの建物の掃除の手伝いをしたり,
いろいろやっている.


被災地の人々の中に入って,
地域の方の信頼を頂くまでに,時間がかかる.
子どもたちへ遊びを提供する「こども遊び隊」も行っている.
最初は「どのこの人たちだろう…」,
次には,「来るときには,あらかじめ連絡をしてからに…」,
次には「この日とこの日にきてもらえると良いのですが…」

救援物資は,街には届いている.
けれど,街から離れるほどに,
物資は届いていないように見える.
被災地の声は,救援物資が沢山あるが,
それを小まめに運ぶ人手が無い.
自動車もガソリンもない.
それをする人手と足が欲しい状態です.

被災地へ,継続的にボランティアを送ることが出来たら,
スケジュールを調整して,
効率よく活動が出来るのですが….

※このような活動を,継続的に送れるように,
  背後から支援をすることが必要ですね.



U.宮城県気仙沼市


3.ミネギシ・ヤスコさん
  (気仙沼市在住,元看護婦さん)

現在,ご主人と一緒に,市内の被災された人たちを
訪問して,物心両面の支援を届ける励まし活動を.
していらっしゃいます.


(*嶺岸さんの友人が撮影した気仙沼市の被災地域の写真です.)





食料と水とカセットボンベのコンロとボンベ,
そして,
沸かしたお湯を入れて保存するポットが必要です.





避難所では,電気で保温するポットは使えません.
施設の電気容量を越えて,ブレーカーが落ちてしまうからです.





毎日の食事の量が少ないですが,
その上更に,菓子パンとカップヌードルが多く,
炭水化物ばかりでビタミンが不足しています.





プルーンのドライフルーツのようなものや,
食事の時におかずとなる食品の缶詰や生鮮食品の缶詰が
望まれていて,喜ばれます.
缶詰は缶切りを使わなくても開けられるものが良いです.





また,それらの救援物資を,これまで受けられないでいる
人たちへ届けるボランティアが必要です.





物資とそれを届けるボランティアと一緒に
自動車とガソリンのような費用を
合わせた支援が必要です.





一度に大きな支援ではなく,
息の長い支援が良いと思います.

嶺岸さんは,
住まいも活動拠点となるはずの建物も津波に流されていた.

それで,
約2週間ごとに住む場所を移動する生活の中で,
救援活動をされている.
ご主人は,アメリカのメディアのインタビューに
次のように語っている.



※朝日新聞の電子版にも掲載された.
  がれきの中,流木の十字架,気仙沼の牧師ら,教会の跡地に
  http://www.asahi.com/






2.AGネットワークの岸波さん
  (栗原市築館町在住)

現在,繰り返し宮城県沿岸部の被災地へ入って活動を
していらっしゃいます.

「写真は、三浦さん宅で、岩渕まこと先生」



岸波さんが,気仙沼市本吉町にお住まい方との間で経験したことを
お話しされています.

この方は、
家があっという間に根こそぎ波に浮かんで,
家の後ろにある道の上にまで流されたそうです。
2億円で建造した“秋刀魚漁船”も気仙沼に流されて、
火災にあって船首だけを海の上に残して、沈んでしまいました。
“秋刀魚船”は全く使い物にならなくなりました。
その上家までも。
避難所に落ち着いてから,家の中にあるものを取りに行こうと思い、
行って見ると、皆自衛隊に壊されていたそうです。
理由を訪ねると、家が道の上にあって復興作業に支障があるため、
一番先に撤去されたと、説明されたそうです。
何か、思い出の品もあっただろうに、すべてが破壊され尽し、
残された物はなかったそうです。
旦那さんは、家の跡にある残骸の前で、
何んの力も出なく、うつむいていたそうです。
一ヶ月位たった頃、私たちが行きました。
私たちが行く一週間くらい前に、その漁師さんの家に、
外人さん達のグループが,私たちと同じように来たそうです。
その人達は、色々な支援をしてくださったそうです。
そして、「何でも言ってください、力になりたいです」と
言って下さったそうです。
この漁師さんは、この外人さんたちが帰ってから、
急に力が湧いて来たそうです。
そして一週間ほどたった今日、私と、シンガポールから来た皆さんとが、
まさに、その方と出会ったのです。

支援を申し出て、話をして行くと、私達よりも一週間前に、
「あなたがたのような人たちが来てくれた.
あの時から回り出したんだ.」と話してくれました。
そして私たちは,翌日には、皆さんから預かっている物資と、
派遣されて来たボランティアの人たち20人くらいで、
瓦礫を片付けに行きました。
この旦那さんはつくずくこう話してくれました。
「先週,あなた方のような人たちが来てくれた。
ありがたかった。
あの時は、すっかり力をおとして下しか見られなかった。
その時に,来てくれたんだよな----。
今日も物資とこんなに皆が来てくれて、俺、本当に力が出たんだ。
不思議な事に、あの人たちが俺の家に来てから全部が回り出したんだよな。
ありがたい」
「俺、やるよ、みんなにここまでして貰ったんだから、
俺もこれからやって、みんなと同じように誰かの力になる」
「みんなが今日来てくれて、こんなふうに話ができると言うことが、
こんなにも力になるなんて、ありがたい、
何てお礼を言っていいか分からない。」
そう語って下さいました。
嬉かったです。
支援してくださった皆様、本当にありがとうございます。
<岸浪>

以上です.



1.阿部克衛さんご夫妻,
   愛隣オフセット印刷(気仙沼市)
   同じ被災地の人たちのために,
   慰めと励ましになる印刷物の発行をと
   ビジョンに立ち,印刷再開を.
長年,印刷製本の会社を営んでいた.
津波の前には,約1億円の設備があった.
家屋と工場の倒壊は免れたが浸水により,
印刷機と製本機が,すべてだめになった.

同じ被災地の人たちのために,慰めと励ましになる印刷物の発行をと
印刷再開を決断した.
そして,再開の規模は,最も小さい,一番小さな規模の
A$版の印刷機(約2000万円)からと,
印刷製本の仕事を再開するビジョンを抱き,険しい道を歩み始めた.

愛隣オフセット印刷の再開のために,皆様のご支援をお願いいたします.
NPO東日本大災害復興委員会の口座へ,送金の際に,阿部印刷復興指定と
メール若しくはFAXをお願いします.そのまま,阿部克衛さんへお届けします.



W.宮城県,女川町,石巻地区
当NPOのスタッフが,現状をビデオで報告を

4.女川町では,とにかくこの度の津波の凄さを
  知らされます.

鉄筋コンクリートのビルが,マッチ箱を転がしたかのように
転がっています.

EJDRF-OnagawaTunami2011-04-19


3.石巻市では,炊き出しボランティアの専門家の
  活動が,とても参考になります.


EJDRF-Ishinomaki distribute the boiled rice2011-04-20



2.石巻市でビリーさん夫妻が,地域の住宅地で
  津波の泥を取り除く作業と
  仮設シャワーを設置する作業を


4月19日はまだ,このような光景が見えました.



ガソリンも石油も届かない.





米軍の物資搬送車輌に出会う.
ビリーさんは自動車を見て何となくホッとする.






津波の泥.こんなのが住宅地では,住宅の床下にいっぱい.
体に良くないものがいっぱい混ざっている.




救援物資を住宅地へお届けする.





今日は仮設のシャワーが届いたので,それを設置する.






ちょっと見,なんでもないように見えるけど,
住宅の床下など,津波の泥が固まっていて,取り除かないと
臭いが大変になる.
先に取り除いておいて,シャワーの設置にかかる.





歩道で荷を開いて,設置準備





阪神淡路大震災で使った物で,仙台の会社が持っていたのを,
提供してくれた.組み立てが簡単.






出来上がり!
こんな具合になりました.

外に,ヒーターが付けられてて,お湯も出ます.





やったね!
汗を流しに来てね!
笑顔の婦人は,アメリカで看護師をしていた.





住宅地の中も,町の中も,こんな感じです.
とにかく,ごみの山.





そして,泥の山.
来る時はマスクを忘れないで!
これから,暖かくなると,特に病気に注意!





健康を守るためだ,えいっ!
さすが,本場仕込のボランティア姿.





皆さん,被災地で,健康を守るボランティアをしませんか?



さすが! 
奥様のの笑顔に,さぞ,ご主人のビリーさんのお疲れも飛んだことでしょう.

では,また,

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ボランティアを希望される方は,
当NPOの事務局までご連絡を下さい.
地域で活動しているボランティアチームをご紹介致します.
*参加の折には,
 ボランティア期間中に生活をするために必要なものは,
 全てご自身でご用意して,ご持参頂くことになります.
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



1.被災地の拠点活動とボランティア事情

By 中田元さん

石巻市では衣類は結構あります.かえって冬物は余るぐらいになるでしょう.
夏物の方が必要だと思います.
衣類は現地では処理に困っているとこがあります.
ラジオ,テレビで訴えられると,そのところに救援品が殺到して「もう送らないで
下さい」と再度テレビ,ラジオで流される事もあります.
品物で送る場合は救援所によって差があります.
その救援所に何が必要ですかと聞いてからものを送る必要があります.
そうでないと救援所がいらない物の処理に困ってしまってゴミになってしまいます.
それなので品物を送る場合には気をつけなければいけません.
水も水道が回復してくるとペットボトルの水が無用の荷物になります.
救援所は日本の家屋で,非常に狭いので置くところがありません.
倉庫もあまりありません.
海外からは品物で送ってもらうよりも,お金で送ってもらい,
日本で調達した方がいいと思います.
避難所では日に日に状況が変わってきます.
宮城県石巻市のさらに奥にある女川町では,最初の頃はおにぎり一個だけでも
涙が出るほどうれしかったそうです.
そして2週間後にはお漬け物がほしくなったそうです.
ご飯だけでは飽きているからです.
そして一ヶ月後に行くと「今はおにぎりだけ,炊き込みご飯だけでは見向きもされ
なくなった.
先週はちゃんこ鍋の炊き出しがあったがそれは皆さん喜ばれた.
人間,舌が肥えてくるのですね」と避難所の食事担当のおばちゃんが言っていました.
むしろ現地に行って必要を感じているのは,被災した地域の教会が物資の支給所と
なって多くの物資がキリスト教の団体からはいってきます.
時には一度に何トンと入ってきます.
狭い会堂が物資の山になって,「日曜には礼拝の場を作るのが大変です.」と牧師さん
から聞かれます.
もし駐車場や空き地がある教会ならばそこに仮設住宅を建てて,そこに物資を置く
なり,倉庫代わりにして被災した教会の牧師が,ゆっくりと休めるようにした方がいいと
思います.現地の拠点を営んでいる人々は,自らが被災して,その中で多くの人の救援
に当たっていて,限界です.倒れる寸前です.

「・・・中田先生,大変ご苦労様です.」(S.M)




W.SBSネットワークの森谷正志さん(仙台市)

現在,仙台市内から,塩釜,石巻,気仙沼への
支援活動をしていらっしゃいます.

蒔田先生
救援物資の必要について、
確かに全体的にかなり行き渡っているのだろう思います。
しかし、場所によっては救援物資の届き具合に格差が出ていると思います。
避難所から戻った人たち、
全壊ではなく、何とか住めるという人たちには救援物資が
届かなくなっています。

石巻のように住む地域によっては行政側から様々な物資が届けられ、
余るほどだという方もいます。
しかし、同じ石巻でも集合住宅、市営アパートや県営アパートなどに
住む人たちには十分は支援が届いていません。
一階部分は浸水しても二階以上の方々はそのまま住んでいるからです。
ただし、毎週のように状況が変わります。
ニュースでも取り上げた地域としては女川町も
やはり集合住宅にいる人たちには十分ではないようです。

避難所でも北の方に行くに従って、
十分でないところがあるようです。
例えば南三陸町です。
今週初め先遣隊で支援物資をもって行かれた方々の報告です。
また気仙沼市でも、最も大きい避難所、ケーウエブ(スポーツ施設)は
1000人ほどの人が避難しています。町に近いと言え、
一日一回の給食(夕食)が提供されるだけです。
三食なくとも、二食は欲しいです。
足りない分は自分たちで調達しなさいと言うことかもしれません。
コンビニとかお店が少しづつ営業を始めていますが、
しかし、中には自由に動けない方もいると思います。

それで、現在、クリスチャン家族の阿部克衛さんたちのところへ
物資を送り、そこで必要な方々に提供しています。
昨晩も電話があり、まだまだ必要とのことです。

さらに気仙沼から先の唐桑周辺の部落も救援が十分でないところが
あります。
自分も足で歩き確認しようと思っています。
主なものですが、お伝えしておきます。
主の支えを祈りつつ、

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森谷 正志
SBSネットワーク
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