2015.03.26.(木)  


 生活の営みの中で,

 人は,過誤を犯すことで,  

 本来あるべき姿や本来行うべき行為が,

 別にあることを知る場合があります.  

 それは辛いことですね・・・.

 それは,「〜ではない.それ故に〜であるはずではないか」  

 のようにです.  



 その例としてですが,

 近年,生命科学の進歩は目覚しい発達を遂げていますが,  

 生命倫理の基本的な問い,

 「人間は,何によって尊厳を知るか.」について,  

 「本来,大切にされるべきものであるはずの人間の命が,  

 大切にされないで,失われるという過誤を通して,尊厳を知る.」  

 と言われいます.



 私は,過誤を避けたいのは誰しものことと思います.

 やはり,過誤は避けたいですし,避けるべきであると思います.

 けれども「過誤を通して,失われた“あるべき姿”を知る」ということの故に,  

 逆に,過誤を犯したことが無い,或いは,過誤を通らない,知らない場合に

 “あるべき姿”を知ることができないこともまたあり得るのではないでしょうか.  

 更に,過誤を犯すことを許されないで

 歩んできた人が,知っているはずと思われることを知らない  

 という事態も起こり得るのではないでしょうか.

言い換えれば,過誤を知り,方向転換する姿もまた,

学びを得る姿の一面なのではないかと思われます.



 更に,過誤を振り返ることを通して,

 「尊厳とは何か?」について,明確に知りえるとは言えませんね.  

 過誤を通して,尊厳に手触りすることができるけれども,

 それが何であるかは明瞭ではないように思います.

 私は,人間が過誤から得られる教訓や認識には

 限界があることを,感じています.

                      


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