2015.04.19.(日)

聖書・ヨハネ福音書6章1節-14節

「五つのパンと二匹の魚」



今日の聖書の御言葉は,

イエス様が,ヨハネ5章9節で,教えて下さいましたことの実例です.

「まことに,まことに,あなたがたに告げます.

子は,父がしておられることを見て行なう以外には,

自分からは何事も行なうことができません.

父がなさることは何でも,子も同様に行なうのです.」

と仰せられています.



私たちは,普段の生活の中で,汗を流して労し,地域で隣人の

必要を満たし支える働きをしています.聖書によれば,それらの働きは

私たち一人ひとりに,神様からの多くの恵みが注がれるための大切な営み

とされています.



けれども,私たちは,始祖アダムとエバが善悪の知識の木の実を食べたゆえに,

「死」とその現れである「あらゆむものの欠乏」した状態にあります.

そして,私たちは,日常の労働を通して,「欠乏」を補い満たそうとするのですが,

同時に,「欠乏」が増えていく状況にあります.



イエス様は,その私たちの「欠乏」を満たそうとされています.

ご自分のみもとにくる人々の病を癒し,障害を癒し,悪霊を追い出し,

空腹の人々にはパンをお与えになり,寄る辺なく助ける者のいない貧しい魂のために

福音をお与えくださいました.(参照 ルカ7:21〜23)



得てして,私たちはヨハネ5章の五つのパンと二匹の魚の奇跡の不思議さに

目を取られそうになります.けれども,イエス様が私たちに届けたいのは,

私たちの「欠乏」を満たそうとされている御父の御愛です.

またそれにより,神様が私たちを祝福しようとされていることを知らせたいのです.



十字架は,死と滅びに向かう私たちを,神様が永遠のいのちへ導き返そうとする手段です.

神様は私たちがいのちを得て,永遠に共にいることを望んでいらっしゃるのです.

私たちは神の愛の御手の中にあります.

「祝福する」は,ともに居たい.一緒でありたい.同じようでありたい.豊かに繁栄させたいと

いうように望みつつ,相手のために労することを含意しています.それは「愛」の一面です.

そのように,神様が私たちを祝福して,一緒に居ることを望んでいて下さっているわけです.

私たちは,神様が,堅く捕らえて下さっていることを信じて,

神様の御手を仰ぎ求めて,歩んで参りましょう.



《聖書・マタイ 6章8節〜13節》

:8 だから,彼らのまねをしてはいけません.

 あなたがたの父なる神は,あなたがたがお願いする先に,

 あなたがたに必要なものを知っておられるからです.

:9 だから,こう祈りなさい.

 『天にいます私たちの父よ.

 御名があがめられますように.

10 御国が来ますように.

 みこころが天で行なわれるように地でも行なわれますように.

11 私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください.

12 私たちの負いめをお赦しください.

私たちも,私たちに負いめのある人たちを赦しました.

13 私たちを試みに会わせないで,悪からお救いください.』

〔国と力と栄えは,とこしえにあなたのものだからです.アーメン.〕



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