2015.06.07.(日)


《聖書・ヨハネ福音書6章63節〜71節》

子供さんにとって,ご両親が自分をどのように感じているかは,最大の関心事ですね.

では,私たちは,私を創造してくださった神様が,私をどのように感じてらっしゃるかについて,

どの程度の関心をもっているでしょうか?



聖書によれば,私たちは,神様に似せて造られています.

そうであれば,神様との関係の中でしか,分からないこと,感じられないこともあるのではないでしょうか?

その様な私たちですから,「わたしがあなたがた一人ひとりを選んだ」という御言葉は,

「そうありたい.」「そうあって欲しい.」など,それぞれに様々な状況におかれている私たちに,

感じさせられることも様々なことがあるのではないでしょうか?



さて,聖書に於いて「選んだ」の御言葉は,どのような意味のお言葉なのでしょうか.

それは,喜び,意に叶う,などを含意している言葉です. それについて,イエス様は,

ヨハネ6:63〜71の行で,「わたしがあなたがたを選んだ.」と弟子たちに仰っています.

彼らは,イエス様の意に叶い,喜ばれている.そう理解してよいのではないでしょうか?

多くの人々が,イエス様の御言葉の真意を悟れない故に,御前から離れていく.

その中で,イエス様の御前にとどまり続ける弟子たちでした.



彼らは,何故,留まり続けることができたのでしょうか?

弟子たちは,イエス様に

「あなたは永遠のいのちの言葉を持っている.」

「あなたが神の聖者であると信じている.」

と言っています.

彼ら弟子たちにとっても,永遠のいのちの言葉は,自分たちの経験と知識からでは

理解できない悟ることができない部分があったのでは?

けれども,弟子たちは,御前を去るのではなく,イエス様を信じて,主と仰ぎ,留まり続けていた.

それが彼らの姿といえないでしょうか?

そして,イエス様は,ご自分を信じ仰ぐ弟子たちの姿を喜び,「わたしが選んだ.」と

仰せられて,祝福されているのではないでしょうか?



ところで,ヨハネ6:64と6:70〜71に,イスカリオテ・ユダのことが,書かれています. 

ユダについて,イエス様が「悪魔」と言っています.

その意味はユダ=悪魔と言っているのか,

それとも,ユダが悪魔の側に属する状態であると言っているのか.



神様は「人」を通して,被造世界に働きかけをされている.

そして,サタンも霊であり,造られたものを用いて働きかけをしている.

そのことを踏まえてみると,ユダはサタンの支配の下に属する状態にあると言っていることが考えられます.



ところで,イエスが選んだ弟子たちの中に,そのユダもいた.

これはどのように理解したらよいでしょうか?

これについて,聖書のほかの御言葉から何か知ることはできないでしょうか?

私は,ヨブ記2:1〜6を思いこします.

神様の御前を,サタンが自由に出入りして,自由に話すことが許されているようです.

これは,サタンもまた,神様の憐れみの対象であるということでは?



さて,いのちの御言葉の性格は,人が持っている理解や知識を越えているという面があるはしないでしょうか?

恐竜の化石の存在は,巨大な生物が,かつては地上に生息していたことを物語っています.

けれども卵の大きさから,それを生める成獣の大きさは子牛くらいであったのではないかとも.

そして爬虫類は生きている限り大きくなり続けることから,巨大さは寿命の長さを示しているのではとも.

これらの事実は,近代の考古学によって化石が発見されることにより,明らかになってきました.

聖書では,創世記5章で,アダムからノアの間は,寿命が短い人で365年,長い人では969年の人が居たことが証しされています.

こうしてみると,永遠のいのちの御言葉には,私たちの持っている生活経験と知識を越えた前提があるということが言えるのではないでしょうか?



聖書は,神が私たち人間をご覧になって,「何に」,そして「どのようなことに」欠乏しているかを良くご存知であり,

それを満たそうとして,ご自身の御言葉と御業をお与えになっていると告げています.

そして神様が私たち一人ひとりを愛して,寄り添っているとも告げています.


《聖書・ヨハネ3章16節》

神は,実に,そのひとり子をお与えになったほどに,世を愛された.

それは御子を信じる者が,ひとりとして滅びることなく,

永遠のいのちを持つためである.


《聖書・コリント第一 13章12節〜14章1節》

12 今,私たちは鏡にぼんやり映るものを見ていますが,

その時には顔と顔とを合わせて見ることになります.

今,私は一部分しか知りませんが,その時には,

私が完全に知られているのと同じように,私も完全に知ることになります.

13 こういうわけで,いつまでも残るものは信仰と希望と愛です.

その中で一番すぐれているのは愛です.

1 愛を追い求めなさい.


私たちが,必要としているものは,「神から愛されている」ことを悟ること,

そして「愛」を追い求めることではないでしょうか.

子供が両親に求めているように.

神様の恵みと祝福が豊かにございますように,お祈り致しております.




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