2015.05.19.(水)

以前のことである.

Y氏(彼は事例用の合成モデルです.)のお話を傾聴して

考えさせられること.

彼は,以前は顔色が蒼く良くなかったが,

その日の朝は,顔色が良く,ポジティブでアクティブな

モチベーションが内側から,湧いていることがうかがえた.

嬉しい限りです.



ところで,これは,私が自分を振り返ってのことですが,

結果的に,最終的には,課題を自分の「自我」の能力で

乗り越えたと思ってるということを,繰り返している場合が

ありはしないかと思わされたりします.

そして,それでは,まだ自我の能力だけで生きる営みの中に

あるように思うのです.

そして,自我を中心にして,すべてを動かそうとすることによる,

混乱を,繰り返し経験して来ているようにも思うのです.



そして,自我の能力ではできないことを,

受け入れることができ,神・主に寄り頼むようになるまで,

行き詰まりと克服を繰り返し,続けることになるのではないか.

自我の能力だけで解決したように見えている限り,

「真」は無いのではないかと思ったりします.




それは次の聖句が思い起こされてのことです.

《ダニエル書 4:29 - 32》

29 十二か月の後,彼がバビロンの王の宮殿の屋上を歩いて

 いたとき,

30 王はこう言っていた.「この大バビロンは,私の権力に

 よって,王の家とするために,また,私の威光を輝かすた

 めに,私が建てたものではないか.」

31 このことばがまだ王の口にあるうちに,天から声があっ

 た.「ネブカデネザル王.あなたに告げる.国はあなたか

 ら取り去られた.

32 あなたは人間の中から追い出され,野の獣とともに住み,

 牛のように草を食べ,こうして七つの時があなたの上を過

 ぎ,ついに,あなたは,いと高き方が人間の国を支配し,

 その国をみこころにかなう者にお与えになることを知るよ

 うになる.」



私は,私たちが,自我を唯一のいのちの手段としてしまうような

束縛の中にあるのではないかと思います.

そして,その束縛された自我から,自身の自我の能力で解放された

と思うのは「真」ではないように感じます.



それ故に,私の内側に次のような問いも起っています.

もし仮に,傾聴の際に「真ではないこと」を用いて,来談者の

心のケアをしようとするなら,「それは,どうなるでしょうか?」と.

これは,ここ数年来,生命倫理の先生をされている方との

お交わりの機会が与えられている中で,私の内側から

注意を喚呼される思いが湧きあがる恵み

を与えられているからです.

そして,この件に関係して,人のいのちの「尊厳」を無視することに

なりはしないか,私は振り返らされているのですが.



私のやっているメンタルヘルスは,たかがボランティアかも

しれません.けれども精神保健の分野で,生の営みに

深い関わりをするボランティアであることを考えると,

そのように振り返り見ることは,決してオーバーなことではないように,

私は思わされます.


ところで,私は自我に関連して,使徒パウロの告白である次の聖句が,

思い起こされます.


 《聖書・ローマ 7章22節 - 8章3節》

22 すなわち,私は,内なる人としては,神の律法を喜んでいるのに,

23 私のからだの中には異なった律法があって,

 それが私の心の律法に対して戦いをいどみ,

 私を,からだの中にある罪の律法のとりこにしているのを見いだすのです.

24 私は,ほんとうにみじめな人間です.だれがこの死の,からだから,

 私を救い出してくれるのでしょうか.

25 私たちの主イエス・キリストのゆえに,ただ神に感謝します.

 ですから,この私は,心では神の律法に仕え,

 肉では罪の律法に仕えているのです.

1 こういうわけで,今は,キリスト・イエスにある者が

 罪に定められることは決してありません.

2 なぜなら,キリスト・イエスにある,いのちの御霊の原理が,

 罪と死の原理から,あなたを解放したからです.

3 肉によって無力になったため,律法にはできなくなっていることを,

 神はしてくださいました.神はご自分の御子を,罪のために,

 罪深い肉と同じような形でお遣わしになり,肉において罪を処罰されたのです.



上の聖句では,使徒パウロが,自身の生来の自我の能力では,

自身の束縛された自我を,その束縛から解放することができない

とを告げていることが分かります.

私は,自身を振り返る時に,自身の自我の姿についての洞察が,

貧しい者であることを思わされます.

けれども,それでも,私の自我もまた,そのような状態で

あるのではないかと思うものです.



《エレミヤ書 23:16》

16 万軍の主はこう仰せられる.

 「あなたがたに預言する預言者たちの

  ことばを聞くな.

 彼らはあなたがたを

  むなしいものにしようとしている.

 主の口からではなく,

  自分の心の幻を語っている.



この聖句の中で,預言者エレミヤが,

実在する神・主とは関係なく,勝手に神・主の名前を使って

話しをする姿を「自分のこころの幻を語っている」と

言っています.



神の存在を根拠を上げて証明しようとしたり,証明している人は

幾人もいます.けれども神が存在しないことを,根拠を上げて証明

した人はいません.



私は,そのような状況を踏まえて,傾聴活動を振り返るときに,

根拠の無い「自分のこころの幻」に沿った傾聴をしている場合が

或は,ありはしないだろうかと振り返らされます.

そして,もしそれをするなら来談をされている方の生の営みを

軽視することになるとともに,その方の生の営みに対して

無益な混乱を差し挟んでいるかもしれない.



《ヨハネ 8:31 - 32》

31 そこでイエスは,その信じたユダヤ人たちに言われた.

 「もしあなたがたが,わたしのことばにとどまるなら,

 あなたがたはほんとうにわたしの弟子です.

32 そして,あなたがたは真理を知り,

 真理はあなたがたを自由にします.」



上の聖句を通して「真」が,糸口であるように思わされます.

そして「真」を大切にする真摯な姿をもって,来談されて

いる方に応対する傾聴活動へと導かれますように,

お祈りしつつ,取り組んで行きたいと思わされています.


貧しい者の徒然の乱筆乱文,ご容赦をお願いします.




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