2015.05.27.(水)


これまで,傾聴をさせて頂いている中で,折々に,感じることですが,

  来談されている方が,自らの内に助けとなるものが無く,外にも助けとなるものの無い,

  聖書の中で,イェス様が「心の貧しい者は幸いです.」と祝福されている姿に

  似たお姿なのではないかと,感じられる場合があるんですね.

  人によって違う場合もありますので, 一概には言えることでも,ありませんが,

  傾聴の中で,折々に,感じさせられることもまた,事実なのです.



  そのような時に,私には,それもまた,ご本人が自身の原罪に直面して,それを味わっている

  お姿なのではないか,と思わされるんです.

  それは,あるべき姿ではないのですが,けれども,聴き方によっては,

  現状の人間の本来の自然な姿に立ち返っているとも言えるように,思われるんですね.

  そのご本人の言葉を借りると

  「何もかも一切を無くした.何かをやる気持ちが出てこない.気持ちが動かない.」

  「全く袋小路に入ったみたいで,出口がない.諦めるしかない.」

  「生きていても,死んでいても同じだ.」

  「自分が生きているか死んでいるか分からない.」等々です.



  御言葉を学ぶ中で,それらの方々は,見方によっては,

  イェス様が「心の貧しい者は幸いです.」と祝福されているお姿なのでは

  ないかと思わされる,ということなのです.



  そして,私は,そのような状態の方に,傾聴をして寄り添い続ける

  ことも,御父が行っているところを,ご一緒に行わせて頂くことに

  なっているのではないか,とも思わされるのです.   



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