2015 年 06 月 14 日 (日)

聖書箇所:

1 コリント 7:7

2 コリント 8:1

7:7  

7 私の願うところは,すべての人が私のようであることです.

 しかし,ひとりひとり神から与えられたそれぞれの賜物を

 持っているので,人それぞれに行き方があ ります.


8:1 〜 5  

1 さて,兄弟たち.私たちは,マケドニヤの諸教会に与 えられた神の恵みを,

 あなたがたに知らせようと思い ます.

2 苦しみゆえの激しい試練の中にあっても,彼らの満ち あふれる喜びは,

 その極度の貧しさにもかかわらず, あふれ出て,その惜しみなく施す富となったのです.

3 私はあかしします.彼らは自ら進んで,力に応じ,いや力以上にささげ,

4 聖徒たちをささえる交わりの恵みにあずかりたいと, 熱心に私たちに願ったのです.

5 そして,私たちの期待以上に,神のみこころに従って,

 まず自分自身を主にささげ,また,私たちにもゆだね てくれました.



1 私は,複雑な気持ちで,少子高齢化のお話をお聞きしました.

「全国的には教会幼稚園が増えているんです.

けれども, スタッフになる人が不足しているんです.」というお話です.

必要が満たさ れますように.幼児期からの教育の大切さを,感じさせ られる中で複雑な気持ちです.



2 また,先日,自殺予防関係の緊急会議で

「そう簡単に減っ てはいかない,今の状況ではリバウンドがある.容易で はない.」と

出席者の方から談話がありました.

私も,要 因の根底にあるものを考えると,容易ではない,と感じて いました.



3 私は,以前,祖父から,「お前は何も考えなくていいんだ.

ただ言われたことをやっていればいいんだ.

お前より賢 い人が,いろいろ考えてやっているんだからよ.」と

いう 声を繰り返しかけられたことを,思い出します.



4 実は,このような,「お前は何もするな.お前は 考えなくても良い.

俺の言うことをやっていればそれで 良いんだ.」というのが,

子供のころからの家庭の躾であり,就学してから も,それが続く.

それで「学校でも,先生の言うことだけをやっ て,良い生徒になっている.」.

それが続くことで,「私は これがやりたい.」「私はこう言うことが好きだ.」

「私はこ のことは上手くできる.得意だ.」.けれども,「そっちの ことは上手くできない.苦手だ.」

「これをしている時に 楽しい.」など,自分が誰であるのかを知り,確認するこ とができない.

そのままに,過ごしていく状態.それが青年たちの歩みであるように思います.



それ故に,大学に入った時にやっと,自分で考えて自分 で行動できる時が来ると次のようなことが起っている.

一緒に入学した人と, 距離を感じて,寂しく,話ができなくて,孤立と孤独を感 じ,大学を休むようになる.


また,大学に適応できて,大学で上手く先生や周りの人に合わせて学生生活を送ることができた場合でも,

就職活 動の段階で,「あなたは誰,何がどの程度できる?」が問 われ,

自身は即戦力では無く,社会から必要とされていないとい うことを強く印象付けられ,

引きこもりとなる.


大学に入ってから「これから自由にやれるぞ.」と意欲的 に学科を取り,アルバイトも取り組んで,

自己確認をする ことができる場合には,就職活動にも適応していけるよ うです.


けれども,卒業と同時に社会へ出て,また「大学に入る前 に,家にいた時と同じような論理で,

縛られてしまう.生活環境があると,以前と同じだと感じさせられ,心が縛られて動けなくなることも起こるようです.

私も「祖父」から,同じような言葉を聞かされることが ありましたから,共感しています.



この論理は,カドを建てないで,社会を安定した状態に保ち.且つ,社会経済を回す論理かもしれません.

その中で,ある意味で人が育てられてもいたとも思います.



けれども,今日では人を行き詰らせ,或は追い詰めて途方に暮れさせてしまう論理です.

人を育てる論理ではないと思います.



神様が創造された私たちには,それぞれ異なる賜物があり,

それを無視した取り扱いは,「人」であることを無視することになります.

けれども,自発的な,喜びの中からは,驚く力が出てきます.

極度の貧しささえも大きく凌駕するほどの活力を生み出すものです.



5 そこでですが,60 歳を過ぎて,いろいろな責任から解放 された大人の方が,

まず「自分が,かつて若者出会ったときに,やりたかったこと.

様々の事情からできなかったこと.」を,小さなことでも良いからやってみるのは,

いかがでしょうか.

そして若者にのために,その喜びを分かち合うなら,

彼らも「やってみよう.」という勇気を持つことができます.励まされます.

年配者が祝福してくれるという経験は,若者にとってとても励まされるものです.



失った時間は取り戻せませんが,機会を得られず にいた喜びや嬉しさ楽しさは取り戻せますね.

更に,それを若者たちに分かち合うなら,次世代のいのちを励まし育てる喜び・嬉しさを味わうことができます.



6 私は上の点から,現在生かされている社会の中で,

聖書の世界観と人間観に立った家庭教育と幼児期から青年期までの教育の大切さを,

感じさせられます.     



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