2015.06.27.(土)

「土地柄の違いで,そんなことも?」と.

雑誌で読んだことなのですが,「秋田って豊かなんだなぁ.」 と思ったんですね.



「何が?」って!

食事のテーブルに,食べきれないほど,並べられて,

「おれ,そんなに食えないよ.」って言っても,

「食べろ,食べろ.」「おれがおめぇのためにこころを込めて作ったものを,

なんで食べないんだ.」,

それで更に,食べないで残したものが,

次の日も出てくる.食べるまで繰り返し出てくる.

その押しつけに,「おれの気持ちはどうでもいいんか?」と

腹が立って,それで親との関係が,気持ちの上で,

難しくなっていった.



家の中では,とにかく,親に対して腹が立って,険悪だった.

「おれの気持ちはどうでもいいんか!」と.

「俺の心と体は,おめーのものか」と.

「俺がしっかり握って,生きたいわけよ.」.

でも,できない.



私の場合,食べきれないほど出される,という経験がなく,

むしろ「あるものを食べる」で,おかずが無くなったら,

自然と食事が終る,という毎日であったので,

その記事を読んで,「秋田って,豊かなんだなぁ〜」と,つくづく.



ところで,自他の違いを大切に受けとめると,

返って,残された自分のこころ(精神)と身体を,

自分のものとしてしっかり握ることが可能になります.

それにより,自分自身の主権者となり,更には,その主権を

どのように行使するべきかについて,心を用いることができるようになります.

それにより,自分のこころ・精神と身体による行為の主体性も養われます.

そして,お互いが同じではない,違うもの同士という意識から,

その違う伴侶を,自分の幸せの手段とせずに,その伴侶が,いのちの活力が豊かな,

健康な生活を営むために,必要な配慮をすることによって,その伴侶に仕えことを,

考えることができるようになります.


結婚式で「富める時にも,貧しい時にも,

健やかな時にも,病める時にも」と司式をします.

伴侶の気持ちを受け止めて,

伴侶がこころ豊かになるように, 互いに仕えることが大切なのでは.

幸せ感は,伴侶の「こころといのちがいよいよ活力豊かになるように」

という配慮の中で,自然と自分の内側に湧き上がり,芽生え育つよう

にも思われます.



でも,自他の違いを,受け入れることに馴染みがないと,

受け入れることに恐れを感じ,不安との闘いが起こりますね.



これは,私が聖書の御言葉から学ばされることですが,

夫,妻との関係は,イェス様を頂点にした三角関係が,

大切な基礎であるようと思います.

そうすると,お互いが,違っていても大丈夫,

という安心・安全感を経験をすることができましたので.



夫に対しては妻を,妻に対しては夫を,

「常に,愛し,敬い,慰め,助けて,いのちの限り,

節操を守ることを,誓いますか?」



今日は,結婚式.

イェス様の御恵みと,祝福を お祈りさせて頂きたいと思いつつ 



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